■ 血盟番号 ■ 名 前 ■ 投 稿 記 事
野根山殉難二十三烈士
享年32歳 ■ 清岡道之進成章 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・清岡道之助旧邸 - 野根山二十三志士の首領として決起
・清岡治之助屋敷跡 - 野根山二十三志士の副首領
・岡本寧浦塾舎跡 
・清岡公張 - 野根山殉難二十三士の首領・清岡道之助の弟 【東京都】
享年39歳 143 ■ 清岡治之助正道 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・清岡治之助屋敷跡 - 野根山二十三志士の副首領
・岡本寧浦塾舎跡
・清岡公張 - 野根山殉難二十三士の首領・清岡道之助の弟 【東京都】
享年24歳 ■ 寺尾権平良利 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年27歳 150 ■ 柏原禎吉義勝 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・高松順蔵邸跡 - 坂本龍馬の長姉・千鶴さんの嫁ぎ先
・日根野弁治墓 - 坂本龍馬の・剣の師匠
・田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤王党にも参加
享年30歳 ■ 柏原省三信郷 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年21歳   ■ 木下嘉久次秀定 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・南 月溪 - 歴史を説き皇室を尊ぶことを強調し幕末の志士を育てる
享年16歳 ■ 木下慎之助彝正 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年25歳 126 ■ 近藤次郎太郎為美 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・高松順蔵邸跡 - 坂本龍馬の長姉・千鶴さんの嫁ぎ先
・田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤王党にも参加
享年22歳 ■ 田中収吉惟清 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年21歳 ■ 吉本培助元枝 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年19歳 ■ 安岡哲馬忠総 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・安岡金馬顕彰碑 - 坂本龍馬の海援隊にも参加
・維新の志士顕彰碑 - 和食出身の勤王の志士たち
享年40歳 ■ 川島総次友利 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・中岡慎太郎生家跡 - 復元され高知県と北川村の指定文化財に
享年16歳 ■ 檜垣繁太郎梁之 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・檜垣繁太郎生家跡 - 野根山二十三士の一人で十六才で 奈半利河原に散る
享年21歳 ■ 千屋熊太郎孝樹 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・菅野覚兵衛・起美 - 妻は「お龍」さんの妹ですき、龍馬とは義理の兄弟 【東京都】
・千屋家邸跡 - 龍馬の義弟・千屋寅之助(菅野覚兵衛)の生家跡
・維新の志士顕彰碑 - 和食出身の勤王の志士たち
・千屋家墓所 - お龍の妹・君江が嫁いだ菅野覚兵衛の親族の墓
・依岡権吉 - 土佐勤王党に31番目に加盟
享年30歳 32 ■ 宮田頼吉貞亮 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年24歳   ■ 横山英吉正利 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤王党にも参加
享年19歳 ■ 宮地孫市利渉 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年21歳 ■ 小川官次好雄 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年30歳 ■ 岡松恵之助盛直 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年26歳 ■ 新井竹次郎義正 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年29歳 127  ■ 宮田節斎秀貫 ・宮田節斎 - 土佐勤王党に127番目に加盟・野根山二十三志士の一人
・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
享年27歳 ■ 豊永斧馬方鋭 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤王党にも参加
享年30歳 ■ 須賀恒次義氏 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・田所左右次 - 土佐藩の砲術家で土佐勤王党にも参加
土佐藩
前藩主 ■ 山内豊信(容堂) ・山内容堂誕生地碑
大監察・参政 ■ 後藤象二郎正本 ・後藤象二郎生誕地
大監察 ■ 福岡藤次孝弟 ・五箇条御誓文 - 福岡孝弟誕生地
討伐隊・大監察 ■ 小笠原唯八茂郷 ・会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名
・小笠原唯八(牧野群馬茂郷) - 会津若松攻めで弟と共に敵弾に倒れる
関連場所
田野町 ■ 野根山二十三烈士殉節の地 ・野根山二十三烈士殉節の地 - 藩は一度の取り調べもせず極刑に処す
■ 二十三士顕彰碑 ・野根山二十三烈士の墓 - 武市瑞山の釈放を求め刑場の露と消える
・石田英吉邸 - 坂本龍馬と亀山社中や海援隊で活躍した海援隊隊士
  
      
  • 文久3年(1863)の八月十八日の政変以後、土佐勤王党に対する弾圧が行われ、武市瑞山をはじめ多くの同志が投獄された。
  • 同年7月26日、田野の郷士・清岡道之助の配下・門弟併せて安芸郡下の尊王攘夷派23人が北川村の野根山街道岩佐番所に武装して屯集し、武市瑞山の釈放と藩政改革を訴えた。
  • 藩庁は反乱とみなして強硬策を採ることとし、大監察・小笠原唯八率いる藩兵を派遣して鎮圧に向かった。
  • これに対し清岡らは戦火を交えることなく阿波国へ逃れるが、海路での逃走には失敗し、阿波藩によって藩庁に引き渡された。
  • 再び野根山を超え9月3日に田野奉行所に収容され、2日後の9月5日、一切の取り調べもなされぬまま、奈半利川河原にて全員が斬首された。
  • 清岡の首は高知へ送られ鏡川河畔で三日間晒されたが、彼の妻は、遺体の首を繋ぎ合わせて葬ったという。

   【 引用・参考 】 清岡道之助 - Wikipedia
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