■ 切腹の順番 ■ 享 年 ■ 名 前 ■ 投 稿 記 事
1 享年25歳 第六番隊長 ■ 箕浦猪之吉 ・箕浦猪之吉生誕地 - 堺事件関係者
2 享年24歳 第八番隊長 ■ 西村左平次 ・西村左平次邸跡碑 - 堺事件・2番目に切腹
3 享年38歳 第六番隊小頭 ■ 池上弥三吉 ・池上弥三吉 - 堺事件・三番目に切腹
4 享年38歳 第八番隊小頭 ■ 大石甚吉 ・大石甚吉 - 堺事件・四番目に切腹
・大石甚吉邸跡 - 堺事件の責めを負わされ4番目に切腹、兄は大石正巳
5 享年34歳 第六番隊 ■ 杉本広五郎
6 享年28歳 第六番隊 ■ 勝賀瀬三六
7 享年28歳 第六番隊 ■ 山本鐵助 ・山本鐵助 - 堺事件・七番目に切腹
8 享年39歳 第八番隊 ■ 森本茂吉 ・森本茂吉 - 堺事件・八番目に切腹
9 享年36歳 第六番隊 ■ 北代健助 ・北代健助 - 堺事件・九番目に切腹
10 享年28歳 第六番隊 ■ 稲田貫之丞楯成 ・稲田貫之丞 - 堺事件・十番目に切腹
11 享年26歳 第六番隊 ■ 柳瀬常七
12 (中止助命) 第六番隊 ■ 橋詰愛平
助 命 第六番隊 ■ 岡崎栄兵衛
■ 川谷銀太郎 ・川谷銀太郎 - 理不尽な堺事件の処置で処刑を免れるが恩赦前に病死
第八番隊 ■ 垣内徳太郎
■ 金田時治
■ 竹内民五郎
■ 武内弥三郎
■ 土居八之助(盛義)
■ 横田辰五郎 ・高知城追手門番所の怪異 - 伝承には堺殉難烈士・横田辰五郎に纏わるとか・・・
関連人物 ■ 土佐藩 ■ 15代藩主・山内容堂 ・山内容堂 - 海を眺めて、酔って候
■ 16代藩主・山内豊範
■ 国家老佐川城主・深尾鼎
■ 大目付・小南五郎右衛門 ・小南五郎右衛門 - 上士にあって土佐勤王党への理解者の一人
■ 今井貞吉 ・今井貞吉 - 堺事件の際、土佐藩監察吏となり折衝役を務める
関連場所 ■ 高知護国神社 ■ 烈士殉難碑 ・烈士殉難碑 - 堺事件関係者
  
 
      
  • 慶応4年(1868)2月15日、フランス領事一行は大阪から陸路、堺に入ろうとしたが、外国事務局から通報の無かった警備中の土佐藩兵はこれを阻み、中途で引き返させた。
  • 同日夕刻、領事一行を迎えるべくフランス海軍のコルベット艦デュプレクスが堺港に入り、士官以下数十名の水兵が上陸、市内を徘徊し、土佐藩軍艦府は警備の藩兵に取締を命じ、帰艦を諭示させたが、言葉が通じず、混雑もあって、水兵側は土佐の隊旗を倒伏、逃亡しようとした。
  • このため、土佐藩側はこれを捕らえるのではなく咄嗟に発砲し、フランス人11人を殺傷または、海に落として溺死させたが、土佐藩側ではフランス人が迷惑不遜行為に及んだための処置であるとした。
  • フランス公使は20名の切腹を要求し、事件に関わった者が現在の大阪府大阪市西区にある土佐稲荷神社で籤(くじ)を引いて切腹する20人を決めた。
  • 2月23日(3月16日)、堺の妙国寺で土佐藩士20人の刑の執行が行われたが、切腹の場で藩士達は自らの腸を掴み出し、居並ぶフランス水兵に次々と投げつけるという行為を行った。
  • その凄惨さに、立ち会っていたフランス軍艦長デュプティ=トゥアールは、フランス人の被害者数と同じ11人が切腹したところで外国局判事五代才助に中止を要請し、結果として9人が助命された。
  • 処刑を免れた橋詰愛平ら9人は、土佐の渡川(四万十川)以西の入田へ配流され庄屋宇賀佑之進預けとなり、その後明治新政府の恩赦により帰郷した。
  • 自刃した土佐藩士は妙国寺内にあつく葬られ、遭難したフランス人の碑も神戸市立外国人墓地に建てられた。
  • 引用・参考は「堺事件 - Wikipedia」
 
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