■ 投 稿 記 事
江戸時代初期の土佐藩家老で、多くの改革で藩を助けたが、兼山の行政に不満を持つ政敵により失脚させられ、3ヶ月後に49歳で死去。
野中良継兼山 ■ 野中兼山邸跡 野中兼山邸跡の碑 - 本来の跡地に建てられちゃーせん理由は
藤並神社社格標 - 昔、此処に神社があった
■ 野中兼山墓 野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 野中兼山像 野中兼山像 - 春野
■ 清川神社 清川神社 - 御祭神は長曽我部元親をはじめ山内政権に恨みを持つ三柱
■ 兼山神社 兼山神社
■ 時光石宮 時光石宮 - 舟入川の工事に関係した神社で野中兼山を祀る
■ 春野神社 (高知市春野町) 「野中兼山」に感謝して - 春野神社
■ 春野神社 (香美市土佐山田町) 春野神社 - 山田堰を築いた野中兼山を祭る神社
■ 野中神社(お婉堂) 野中神社(お婉堂) - お婉さんが父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀る
野中兼山の偉業 河川や港湾の修築・養蜂・薬草・捕鯨漁法の改良・新田開発等・・・・・
港湾改修 ■ 津呂港 津呂港 - 「野中兼山先生開鑿之室戸港」と「紀貫之朝臣泊舟之碑」
■ 手結港 我が国最初の掘り込み港湾 - 手結港
野中兼山頌徳碑 - 明暦元年(1655)に開削された日本最初の掘込み港湾
■ 室津港 室津港 - 地震の度ごとに大地の隆起が起こり掘込みを繰り返した港
物部川の恵みを ■ 史跡・山田堰遺構 史跡・山田堰遺構 - 香長平野を潤し、舟入川の流れは流通に貢献
■ 三又 野市台地を潤す - 史蹟・三又
仁淀川の恵みを・春野平野 ■ 八田堰 野中兼山の偉業の一つ - 八田堰
■ 行当の切抜 行当の切抜 - 野中兼山の遺跡の一つ
■ 新川の落とし 「野中兼山」の遺構 - 新川の落とし
仁淀川の水は、浦戸湾に注ぐ
■ 春野井水 あじさい街道 - あじさい公園前周辺
■ 唐音の切り抜き 長浜川の切り抜き - 野中兼山の偉業の一つ
仁淀川の恵みを・高岡平野 ■ 鎌田堰 鎌田堰跡 - 仁淀川右岸高岡地方の新田開発のために野中兼山が造る
■ 鎌田井筋 野中兼山先生頌徳碑 - 昭和15年(1940)鎌田堰築造事業所遺跡地に建てられた碑
四万十川の恵みを ■ 四ヶ村溝 安並水車の里
その他 ■ 尾戸焼 尾戸焼窯跡 - 開窯は名工・野々村仁清の門人とされる久野正伯
山崎平内 - 土佐尾戸焼の租の一人
能茶山窯跡 - 高知県の史跡
■ 土佐打刃物 くじらナイフ
■ 庚申堂 庚申堂 - 山田氏と長宗我部氏との戦いで戦死した怨霊を鎮める
■ 片岡の茶園堂 片岡の茶園堂 - 戦国時代、14代片岡光綱によって設けられる
■ 琴ヶ浜松原 琴ヶ浜松原 - 野中兼山によって砂丘に植林し護られた松林
■ 公儀の井戸 公儀の井戸 - 野中兼山が水の乏しかった山田台地に掘った井戸
野中兼山の失脚により、寛文4年(1664)遺子8名に対して罪が下り、40年間「宿毛」に幽閉される。
その間、よね・清七・欽六・希四郎は病死、末子・貞四郎は狂死して男系が絶えたので、生き残った寛・婉・将の3人の娘は自由の身となり、婉は高知に帰り、寛と将は宿毛に残って余生を送った。
宿毛の西山墓地には、よねと婉を除く他の遺子たちの墓と共に正妻・市、その母・よめの墓もある。
【 参考・引用 】  宿毛歴史館/宿毛市の文化財/野中兼山遺族の墓地
親族 ■ 実祖父:野中良平
■ 実祖母:合(山内一豊の妹) 慈仙院 - 野中兼山の娘・婉さんが曽祖母のために建てた墓
■ 実父:野中良明勘解由
■ 実母:萬(秋田氏)
■ 養祖父・野中主計益継 野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 養父:野中直継玄蕃 野中婉女宅跡 - 野中兼山の娘
野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 野中兼山四女:婉 野中婉女宅跡 - 野中兼山の娘
野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 古槇次郎八重固 野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 伊藤玄白夫妻 野中兼山 - 野中兼山一族の墓所
■ 乳母信婦 野中兼山 - 野中兼山一族の墓所   
兼山所縁の人々 ■ 小倉省助・三省  小倉省助・三省父子の墓 - 小倉三省は藩政初期の重臣で儒学者
小倉三省屋敷跡 - 谷時中に学び野中兼山と共に南学の発展に尽くす
■ 丈野正吉 正吉神社 - 祭神・丈野正吉は野中兼山、父、祖父の三代に仕える
■ 谷時中 谷時中の墓 - 「土佐南学」中興の祖
南学発祥の地
真乗寺跡 - 南学中興の祖・谷時中が住職だった寺
■ 谷秦山 谷秦山先塋の地 - 谷干城の先祖にもなる
谷垣守・真潮邸跡 - 谷家の学問が尊王思想を説く
谷秦山邸跡 - 土佐南学を再興しその学問は垣守、真潮へ受け継ぐく
■ 一木権兵衛  一木権兵衛 - 難工事・室津港開鑿を成し人柱として海神に身を捧げる
権兵衛井流 - 野中兼山が一木権兵衛を取り立てる切っ掛けに
■ 森横谷 森横谷 - 野中兼山の罪名の追赦を願う上書を奉じる 
深尾重昌は、藩主交代を機に子の因幡重照や娘婿の家老・酒井豊吉と共に連名で3箇条の訴書を側近の孕石頼母元政・生駒木工を通じ、第3代藩主・忠豊に提出し、兼山を失脚させる。
失脚させた関係者 ■ 山内忠豊(土佐藩第3代藩主) 酒井勝作(山内下総) - 土佐勤王党に協力し保守派政権を作る  
■ 深尾重昌(佐川・第2代城主) 深尾神社 - 佐川・深尾氏一族の霊を祀る
山内規重 - 土佐藩第8代藩主・山内豊敷の父
佐川・深尾氏累代の墓所
清源寺 - 佐川・深尾氏の菩提寺として創建
■ 深尾重照(佐川・第3代城主)
■ 酒井豊吉(深尾重昌の娘婿) 酒井豊吉 - 野中兼山弾効に組し、失脚させた一人
酒井勝作(山内下総) - 土佐勤王党に協力し保守派政権を作る
■ 生駒木工 生駒木工 - 土佐藩家老・野中兼山を失脚させる切欠をつくった一人
■ 孕石(頼母)元政 孕石元政 - 土佐藩家老・野中兼山を生駒木工と画策し失脚させる
にらみ石 - 薫的和尚と野中兼山に関わる孕石頼母邸にあった庭石
磐上神社 - 薫的和尚が最初に埋葬された地
孕石元成 - 父・孕石元泰と共に武田勝頼の家臣じゃった
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